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狂乱の大阪日記2日目-交通科学博物館編-

前の更新はいつだったのだろう.
杏雀堂です.暑い季節がやって来ました.夏バテとクーラー病に注意しないといけません.
さていきなり本文です.どうぞ.


2日目のラストは閉館迫る交通科学博物館へ.今津線に乗って今津から西九条経由で弁天町へと向かいます.

交通科学博物館は,小学生の頃今は亡き祖母とともに何度も通った懐かしい場所です.
祖母が住んでいた北野田から高野線で新今宮に出て,環状線で弁天町まで行くことが多かったのですが,時には地下鉄の中央線に乗りたいとねだってなんばから本町に出て行ったこともありました.
当時は食堂車のレストランでカツカレーを食べるのが楽しみでしたねえ.
あと,当時からいわゆる通勤型が大好きだった私は模型の展示でも103系や221系が走ると大喜びで,新幹線やら寝台特急にはいまいちピンとこなかったですね.いわゆる三つ子の魂百までっていうやつかもしれません.それでも,模型がいっぱい走ってる光景に心を躍らせ,いつかは自分でああいうのを作ってみたいと幼心に思っていたものです.


というわけで,懐かしさに浸ってたので写真は少な目です.
ちなみにこのとき大学の先輩と会いました.お懐かしゅうございました.

いきなり.いつもの.またお前か.
DSC_0661-1.jpg
屋根の塗り分けが参考になります.っていうか西日本じゃこの形式人気ないんだし(勝手な思い込み)僕にください(
ユニットの向きが違いますが,205系が展示されているという事実の方が重要です.
個人的にはJR京都・神戸線の205系にはそれなりの思い入れがあります.かつて茨木に住んでいたころ,大阪市内の高校に通うのに梅田までJRを使っていました.急ぐ朝こそ快速を使っていましたが,下校時には車両を見て乗る列車を決めていたものです.205系が321系投入によってからJR京都・神戸線から阪和線に転用されるという頃には必死になって追いかけました.
ちなみに,その頃の写真のフィルムは引っ越しのどさくさでどこかへと消えていきました.見つけたらダメもとで現像してみようかしら.

マルス102
DSC_0662.jpg
これ,登場した頃は衝撃的だったんだろうけど,今じゃとても使えたもんじゃないんだろうなあ………….マルス102はマルス101を発展させて新幹線対応へとしたもの,らしいです.

207系の模型
DSC_0673.jpg
F1編成ですね.子供の頃は実写と同じようにドアも違っていたんですが,今ではこのスタイルになってしまいました.家にあった,かつての鉄道ファンの特集「209系vs.207系」を読んでいた僕はこの207系を見て,ドアが試作車だ!!!!!と素直に感動していたものでした.この模型のドアが塗り変えられたのはいつのことなんでしょう………….実車は僕が茨木に引っ越した99年にはほかの編成と同様の一般的なドアに交換されていたはずです.現塗装に変えられたときに一緒にやったのだとは思いますが.
蛇足ですが,鉄道ファンの特集「209系vs.207系」は207系のかっこよさも209系のかっこよさも存分に味わえる本当に素晴らしい特集だと思います.


ここからしばらく鉄道から離れまして,幻の超豪華貨客船,橿原丸.
DSC_0674.jpg
日本郵船が渾身の力を持って世に送り出そうとした超豪華貨客船ですね.史実では客船としての姿を見せることなく,改装空母として世に出ましたが,本当ならこのような姿で太平洋を女王の名に恥じぬ豪華な装いで行き来していたはずでした.終戦まで生き延びるも,戦争の傷は深く,解体を余儀なくされます.
橿原丸と同時に建造された出雲丸(こちらも空母飛鷹として建造)も含めて橿原丸級は主要機器を国産とし,内装は当代きっての建築家である,村野藤吾氏や吉武東里氏らが担当する,日本の粋を尽くした意匠となるはずで,内装担当者の最初の顔合わせを嵐山の料亭で行うなどの徹底ぶりだったそうです.
もし終戦後に貨客船として再建されていたら,もし空母として生まれることがなかったらと思うと,哀しみを感じずにはいられません.

戦中日本の航空隊を支えたエンジン,誉.
DSC_0684.jpg
廃棄,埋設されていたものが交通博物館に寄贈され,そこから交通科学博物館へと移された資料ですね.
航空系の展示の中では,このエンジンはカットモデルでもなくかといって完全な形でもないということから強い存在感を感じました.

DSC_0695-1.jpg
博物館の人気コンテンツ,HOゲージの巨大レイアウトはものすっっっっっごい人だったので,見れませんでしたが,代わりに操作卓をじっくり観察してきました.
こういう連動盤みたいな操作卓を使って模型の運転ってしてみたいですねw

で,感心したのが,
DSC_0695-1-貨物線
「貨物線」の文字が旧字なんですねwということはこれレイアウトができてからまったく変えてないのかな?

DSC_0693.jpg
なぜかSuicaのクリップが使用されていたり,
DSC_0694-1.jpg
受験の応援をしていたりと,細かいところで目が離せませんw
梅小路になってどんなレイアウトになるのか,非常に楽しみです.

過去の特別展を集めた展示の中に「プロ野球の球団と鉄道」なる企画が.
DSC_0703-1.jpg
近鉄バファローズがあったころ,西武ファンであった私はよく大阪ドームにライオンズの試合をよく見に行ったものです.
ああ懐かしき近鉄バファローズ.2001年の近鉄優勝は2003年の阪神優勝よりも記憶に残るものでした.

気分を変えて第2展示場へ.
DSC_0745-1.jpg
保線用車両やらポイントやらが展示されているスペースですね.
入口があまりにも目立たないせいもあってガラガラでした.ただ,スイッチの故障でポイントの転換ができなかったのは残念としか言いようがありません.

この第2展示場のメイン展示物はこの継電連動装置.なんと戦前から平成の世に入っても使われていたという代物です.
DSC_0748.jpg
DSC_0749.jpg
この連動装置が扱っていた部分の配線図が一緒に展示されていたらもっと面白かったのにw
上のディスプレイでは「鐵道信號」の京都駅の信号扱いのシーンが繰り返し流されていました.この映画Youtubeで全編あがっていますね.当時の京都駅電車線の配線や,貨物線と旅客線が平面交差をしていた様子など京都駅の特徴的な配線がよくわかります.

ちなみに京都駅も吹田操車場も配線図を調べてみるとわかりますが,壮絶ですね~.京都駅については東海道本線が貨客分離複々線だった頃の2か所での平面交差なぞ考えただけで恐ろしくなりますし,吹田操車場の線路の多さは見てるだけで頭が痛くなってきますw

これぞ「機械」というスイッチ類.
DSC_0750-2.jpg
使い古された機械の持つこの何とも言えない重厚な存在感がたまりません.今の連動装置はパソコンの画面内でポイントや信号をクリックして進路を構成することを考えると隔世の感ですね.

今度は屋外展示場へ.
寝台車の車内公開をしていたので並んで順番をしばし待ちます.
DSC_0710.jpg
ジャンパ栓,どうせだったらつないでみればよかったのにw

マイロネフ59の車内を見学
DSC_0717.jpg
ニス塗りの仕上げがとても綺麗でした.


DSC_0724.jpg
電灯カバーや
DSC_0722.jpg
区分室仕切りのテーブル下,
DSC_0727-1.jpg
座席の下など金属部分の意匠がすべて波文様となっているのが目につきました.大海原の広さや雄大さを表す文様ということで,おめでたい時にも用いる文様ですね.

さて,残念なことにここでカメラの充電が切れてしまい写真は撮っておりません.
なんという残念な終了.

最後に一言
女性専用車にカメラを持って乗るのはやめましょう.


さんざん引っ張っといてこれかい.
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テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

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杏雀堂

Author:杏雀堂
〈杏雀堂〉
東京都は日野台地に住む,院生という名のニート予備軍.
生まれ変わるならめぞん一刻の四谷さんになりたい.205系に狂った可哀そうな人.

〈なま酢〉
杏雀堂の後輩.マイペース.205系には特に思い入れは無い模様.


杏雀堂のblogになま酢が一枚かみ始めたので,当分は共同管理状態.領土問題には発展せず.

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